【前編】HSPを知るまで、私はただの神経質だと思って苦しんでいた|過敏で生きづらかった私の10代〜20代

HSP

子どもの頃の経験

私は三人兄弟の末っ子長女として生まれ、とても可愛がってもらっていたと思います。

しかし、年の離れた2人の兄はなかなか自由奔放で、各所に迷惑をかけることも多々ありました。それが故に、両親の期待を一心に背負ってきたような気がします。

幸いにも期待に応えられたことも多く、さらに親の期待は大きくなっていきました。

少しでも良い子でいないといけない。勉強ができなければいけない。スポーツができなければいけない。悪気はなかったと思うのですが、大人たちの褒め言葉が重く感じることが多かったように感じています。

この文章を見て感じると思いますが、小学生くらいまでの私は○○ができなければならないと強く思っていました。

崩れ落ちた優等生

小学生の時は何をやっても成績を残すことができたのですが、中学生になってすべてを失います。

身の危険を感じ、転校を余儀なくされるほどのいじめを経験しました。

自己肯定感の欠片もないほど打ちのめされ、部活も辞め、学校にも行かなくなり勉強も遅れていきます。これまで期待に応えてきた私は焦り、どんどん絶望的な気持ちになっていきました。

優等生じゃない私は価値がない?

これまで誰かの期待に応えることが私の喜びだったため、いざ期待に応えることができなくなった私はすべての自信を失います。

自分の価値がわからなくなり、苛立ちや焦りから反抗的な思春期を過ごしたと思います(いわるゆる反抗期)。

反抗的な態度に憧れて夜遊びをしてみたり、学校を休んでみたり…でも、成績は維持したいし大人からは褒められたいし、なんだか中途半端な青春だったような気がします。

普通のサクセスストーリーならここから挽回していくものですが、私はそうではありませんでした。

こんな人物に

いじめや挫折、両親の離婚、母との死別、突然の一人暮らし、学校中退など21歳までは本当に色々なことがあったと思います。

どれだけ自信を失っても幼少期に確立された優等生気質だけは抜けなくて、私はこんな大人になってしまいました。

真面目を装ってしまう
 → 怠け者なのになぜか真面目に見える

ノーと言えない
 → 誘いを断るのが苦手で、返事を先延ばしにしがち

人の顔色を窺ってしまう
 → 自分の意見が言えない

評価基準が他人軸
 → 自分が好きかどうかより、褒められるかどうかで判断してしまう

感情に敏感すぎる
 → 相手が快適でいられるように空気を読みすぎてしまう

自信がない+考えすぎ
 → 起きてもいない未来のパターンをいくつも考えて、堂々巡りになる

行動できない・眠れない
 → 考えすぎて動けず、夜も眠れなくなる

人が好きなのに疲れてしまう
 → 気を使いすぎて、人と一緒にいるとぐったりする

優柔不断
 → 何かを決めるのに、ものすごく時間がかかる

など、疲れることが多い大人になってしまいました(笑)

疲れやすいけど、それでも私は私でいい

正直、ものすごくめんどくさい人間だと思いますし、日々生きにくさを感じます。
友人からは、燃費の悪い軽自動車と言われます。

でも、年齢を重ねるって不思議ですね。少しずつ「こんな自分でも大丈夫」と思える日が増えてきたのも事実です。

若い時は恥ずかしかったことや苦しかったことがどんどん気にならなくなってきたんです。時間が経てばプラスに考えられるなら、「あの時もっと苦しまなくて良かったのに」って思うんです。

若いころの自分に言ってあげれたら一番ベストなのですが、それはできません。 だから私は、同じように生きづらさを感じている誰かに、「自分だけじゃなかった」と思ってもらえる場所を作りたいそんな思いで書き残していきたいです。

次回は、そんな私が初めて「HSP」という言葉に出会ったときのことをお話しします。

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